私が参加した分科会3は、[社協活動の再検証] 「『私』の立ち位置を問う ~いま、社協に求められていること」というテーマでした。
27日(土)の1日目は、「筑豊から水俣・ハンセン病療養所へ」という演題で、NPO法人ちくほう共学舎「虫の家」事務局長の髙石伸人さんからお話を伺いました。
まず、筑豊というかつて炭鉱で栄えた地域について、高度経済成長で日本が右肩上がりになっていった時に切り捨てられた地域であること、そこから、炭鉱労働や被差別部落、海外移民など、今も筑豊には様々な傷口が残っていることの話がありました。改めて地域を見つめなおすことで、自分がどんな地域で社協活動をするのか、生活を送るのか、生きていくのかということを考えさせられ、まず歴史をきちんと学び、差別の構造、排除の仕組みについて意識をしなければならないと感じました。
そして、筑豊と水俣について、それぞれ、石炭、化学肥料という国の発展のために作り出される一方で、炭鉱労働者と漁民といわれた方たちに向けられた差別のまなざしがあったこと、プラスチック製品に囲まれて便利な生活を送っている私たちは水俣の人の犠牲の上に生活していること、そこに悪気があるわけではないが、そういう構造であることを話されました。そして、飯塚も水俣も企業城下町であり、強い力をもつ存在に病気の認定申請で立ち向かわれた患者さんのことについても触れられました。また、水俣病とハンセン病について、どちらも近代化が進められたために犠牲になった方たちであること、「最大多数の最大幸福」という、たくさんの人の幸せに少数の犠牲は仕方がないという考えがここに見えることを学び、自由や豊かさを手に入れた近代化によって奪われたものは何なのかという問いを投げかけられました。ハンセン病については、よかれと思ってまわりの人が「療養所に入ったら治るよ」と言葉をかけ、それによって地域で生活できなくなった方がいたことにも触れられ、自分の仕事を振り返りながら聴きました。また、沖縄の基地、福島の原発というように、辺境と呼ばれるようなところに危険なものを置くこの社会の構造についても指摘をされました。
最後に、髙石さんが出会われた、水俣病、ハンセン病の方たちの言葉から、地獄の中で人間として生きることを求め続けた方のことを話され、過酷であった事実を知るだけじゃやなく、そこにあった希望を知らなければならないと感じました。
社会のノイズとされる人がいるのは事実で、私たちはそこにどう橋をかけれるのか、壁の向こうに行かなければならない、『共に』、『誰もが』と言う社協職員の私は橋をかけるためにどこまで踏ん張れるかが問われていると思いました。
住民主体を考える上ではずせないたくさんの視点を学ぶとともに、自分はどこに立っているのか、立たないといけないのかと問い続けることが大切だと感じました。